■ 更新履歴
・04/08:新たな気持ちでHP稼動開始
■ お知らせとかりんどうの近況とか ・状態普通、怪我も病気もありません
■ 日記
04/21(夕方)
一日働いてみると、何故かすっきりした。
それなりの答えがでたようで。なんであんなに馬鹿みたいに悩んでいたのかと思い返すほどである。
やはり鬱というものは周期的に回ってくるもので、山あり谷ありしていくのだろう。
ということで、復活の兆し。
04/21
本当にひどい鬱だ。
休み、ひたすら一人でビデオを見る。
その自分の姿を客観的に見て辛くなる。
本当に一人のようだ。寂しいかもしれない。
誰か助けて欲しい
04/20
激しく鬱期に突入。何も手に付かない。まぁ、それは良いとしよう
そんな事をぼやいても助けてくれる友達は居ないし、基本的に自分でしか何とか出来ないと本人が思ってるので仕方が無い。
だからそれは、良いということにしよう。
最近良く、友達はなんだろうかとよく考える。
りんどうゆうしは、あまり友達は居ないほうだと考えている。
恐らくその考えを持っている時点で友達が居ないということになるのだろうが。
明確な、友達とそうでない人間とを分ける手立てはない。
自分が、その人間のことをどう考えているかによる。
自分が、彼を、友達だ。 と考えるのならば、その彼は自分にとってやはり友達なのだろう。
この場合、その友達と位置づけた人間の意志は完璧に無視しているが。友達というものが、両者の認識を必要としない場合は無視しても良い。自分が友達だと思えばその人は友達になる。
この考えを持って、前の「りんどうゆうしは、あまり友達は居ないほうだと考えている」という発言を分析すると。
「りんどうゆうしは、あまり友達と思っている人間が居ない」
つまり、りんどうゆうし本人が、人を友達と認識しないということである。
「最近良く、友達はなんだろうかとよく考える。」は少し違うかもしれない。
どちらかというと「自分にとってどんな人間が友達だろうか」と考えているかもしれない。
そして今もって、もし「自分にとってどんな人間が友達だろう」と問われた時。私は答えられないと思う。
私の中でその答えを探る友達が居ないからである。
何故か、いつのまにやら、私には友達が居ないようだ。
時として、それが非常に寂しく思える。
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